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卒業生Voice
私が治療家になろうと決めたのは、中学校3年生の時でした。
柔道部の練習で鎖骨を骨折。生まれて初めて整骨院に行きました。
その整骨院の院長先生が、すごい人だったのです。先生は柔道家にして治療家(昔は骨接ぎ師といわれていました)。かつての柔道家には多いライフスタイルなのですが、現代では珍しいタイプです。
しかも、その院長先生はまだ25、6歳。私のケガを鮮やかな手技で速やかに治してくれました。すっかり感銘を受けてしまい「ボクも院長先生のように、患者さんのケガを治したい!」と、治療家になることを決心したのです。
骨折が治ってからも、うちの学校の柔道部を指導してくれるなど、院長先生とはその後もご縁が続き、私は中学卒業と同時にその整骨院で働くことになりました。
朝、整骨院に行ったら掃除と洗濯。院長先生が来たらすぐに治療できるように準備しておくのが私の仕事です。その後、高校に行って勉強、そして部活です。放課後も、忙しい時はお呼びがかかると、治療院で仕事をしました。
院長先生は、頑固一徹。仕事にも柔道にも真面目で厳しい人でした。私は何も知らない素人ですから、よく怒られました。
私は助手として、先生の施術を見学したり、患者さんとのやりとりを聞いたり...と、分からないながらも、治療現場の雰囲気に馴染んでいきました。また、「人を治す」ためには、治療家はどんな姿勢で臨むべきかということも、院長先生の背中から学べたような気がします。
高校卒業後は、柔道整復師の専門学校に通うことに決めました。
そこで、何校かオープンキャンパスに行って、見学させてもらいました。まだ高校生の私には、カリキュラムのちがいなんて分かりません。ただ、3年間で国家資格が取れるかどうかだけが心配でした。
それについて質問すると、「ダイジョブ、ダイジョブ、とれますよ」と軽く答えてくれた学校がほとんど。
でも、日本健康医療専門学校(以下ニッケン)の担当者だけが「それは努力次第ですね。正直、簡単なことではないですよ」と答えてくれた。
生徒を多く集めるためのオープンキャンパスなのに、私の不安を受け止めて、真摯に答えてくれたことに、(いい学校だな...)と思いました。
また、ニッケンだけが体験授業を実施していて、授業の様子がよく分かったことも選んだ理由のひとつです。
ニッケンに入学後、最初の頃は本当に大変でした。
私の高校時代は、ほとんど部活をするために学校に行っていたようなもの。柔道着と弁当、シャーペンだけを鞄に入れて通学...とんでもない学生でした(笑)。
だから大変なんです。机に向かって勉強するという習慣がないんですから。どうやったら勉強に集中できるか...そこからのスタートでした。
先生たちは、そんな私にもていねいに指導をしてくれました。ニッケンの先生は、それぞれの専門分野の治療現場で活躍されている人ばかり。でも、授業では、全員が分かるように根気よく教えてくれる、よい教育者でもありました。
そんな先生やクラスメイトに支えられて、自分なりの学習スタイルも見えてきて、なんとか授業にもついていけるようになりました。
それでも苦手だったのは生理学です。解剖学など他の科目を理解しないと分かりづらい科目でした。でも、わかった気にならずに、基礎からていねいに理解するまでとことん勉強しました。
先生から質問を受ける口頭試問もイヤでしたね。口頭試験の前日は、友だちの家で合宿をしていました。テキストを見ながら「これ、どうなっているんだっけ?」「ここ、出るかな?」と、互いに教え合ったり、包帯を巻き合ったりして...朝までみんなでガヤガヤ勉強しました。
柔整の3年間、私は皆勤賞でした。キャンパスライフの思い出は数えきれないほどあります。今でも当時の友だちとはつきあっていますよ。
国家試験のための勉強はかなりしましたね。試験前の3か月間はアルバイトも休みにして、勉強に集中しました。(これで落ちたら、3年間の苦労がすべて水の泡...)と思うと、気が気じゃない。不安のあまり勉強しちゃうという感じで、1日12時間ぐらい勉強していました。
ニッケンの先生方は、国家試験の傾向と対策を教えてくれました。合格が難しそうな生徒には、先生がマンツーマンで指導していました。
国家試験の会場には、独特の緊張感がありました。柔道の試合経験が豊富な私でも、かなり緊張しましたね。私の場合、相手が強ければ強いほど燃えるタイプ。国家試験は、私にとって最大の強敵のはずなのに、ちっとも燃えません(笑)。ただただ緊張していました。
なんとか無事に合格できて安心しました。計画通りに勉強したのがよかったのだと思っています。
柔整卒業後は、ある整骨院グループの治療院に就職しました。
そこの院長先生が鍼灸師で、間近で治療を見たり、患者さんの予後を知るうちに、鍼灸のポテンシャルに興味を抱きました。
そこで3年間臨床経験を積んで、ニッケンの鍼灸学科に入学しました。グループ院で副院長として働きながらの受講でしたが、柔整学科で学んだ知識である程度はカバーできました。
しかし、東洋医学や鍼灸については、一から勉強する必要がありました。3年後には国家試験に挑戦して、無事にはり師・きゅう師の資格を取得できました。
鍼灸学科を卒業して3年後、「さんべ鍼灸整骨院」を開業。
15歳の時に描いた夢を、ようやく叶えることができました。
「さんべ鍼灸整骨院」の強みは、東洋医学×西洋医学のコラボレーションです。
西洋医学である整体と電気治療、そして東洋医学の鍼灸。この二つを融合させて、患者さんの痛みを取り除きます。
西洋医学的アプローチは、症状に早く直接働きかけるというメリットがあります。しかし、痛みのある部分に治療を注力するために、他の部分に問題が生じるというデメリットも。
そこで、鍼灸などの東洋医学的アプローチによって、身体全体のバランスを整えたり、慢性的な症状や自律神経の症状を改善します。
また、当院では「薬に頼りすぎない身体づくり」にこだわっています。
私が近年強く危惧しているのは、湿布薬や痛み止めの薬を長年使用している患者さんが多いということ。間違った医療の知識や自己流のケアで、自身の痛みを増幅させている患者さんが増えているのです。
そこで当院では、痛みがとれた後はなるべく薬に頼らずに、患者さんがもっている自然治癒力による回復や再発防止を目指しています。
もちろん生命維持や血圧を下げるなど、飲み続けなくてはいけない薬は別ですが、本当の意味での根本治癒を目指すならば、薬に頼るべきではありません。
そのためにADL(日常生活動作)の指導や正しい医療知識をお伝えすることに尽力しています。
長年身体の悩みを抱えている患者さんが、どこに行っても治らなくて(一生このままなのか...)とあきらめていたところ、当院の治療によって改善した時は「治療家になってよかった!」と心から思いますね。
ずっと車いすを利用していたり、自立歩行が難しかった人が、自分の足で歩けるようになった瞬間に立ち会ったこともあります。「先生のおかげで人生が変わりました...」と涙ながらのお言葉をいただき、胸がいっぱいになりました。身体の悩みや痛みが改善することは、人生を変える―とあらためて実感しました。
私自身、ニッケンの入学当初は勉強面での不安は大きかったのですが、そんな私でも柔整と鍼灸、両方の免許を取ることができました。
ニッケンの先生方は、国家試験合格はもちろんですが、その先を見据えた指導やカリキュラムを実施しています。柔整や鍼灸のプロとしてどうあるべきか、人の身体にまつわる仕事に携わる者の基礎を学べると思います。
私は今まで後輩をニッケンに3人紹介していて、全員国家試験に合格し活躍しています。実績のある学校なので、安心して学ぶことができると思います。ぜひ、あなたの夢を叶えるために、ニッケンで知識と技術を身につけてください。
PROFILE
三瓶純一 Junichi Sanbe
1986年、千葉県生まれ。「さんべ鍼灸整骨院」院長。
中学、高校、専門学校(ニッケン)、そして現在も柔道を続けている。度重なるケガに悩まされていた時に、ある整骨院で治療を受け、痛みと悩みから解放される。その整骨院の院長に感銘を受け「自分と同じように痛みや悩みで苦しんでいる患者さんを救いたい」と治療家を目指す。2005年日本健康医療専門学校柔道整復学科に入学。2008 年柔道整復師の免許取得。卒業後は大手整骨院グループに就職。2011年日本健康医療専門学校鍼灸学科に入学。2014年、はり師・きゅう師の免許取得。2017年「さんべ鍼灸整骨院」を千葉県鎌ケ谷市に開業。
■さんべ鍼灸整骨院 公式サイト
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