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卒業生Voice
私の人生が大きく変わったのは、25歳の時。
社会人バスケの練習中に、右膝前十字靭帯を断裂してしまいました。
すぐに病院に行きたかったのですが、当時は建設品質検査員の仕事が忙しく、休みがとれない状態でした。とりあえず安静にして、動けるようになったら自己流のリハビリをしてバスケに復帰しました。
もちろん、素人の自己流ケアで完治できるはずがありません。
その5年後、仕事中、膝に激痛が走り、階段が下りられなくなりました。病院に行ったところ、右膝半月板と軟骨の損傷と診断され、手術を受けました。この時入院していた大学病院のスポーツ整形外科には、スポーツリハビリ室がありとても興味を惹かれました。
その翌年、やはりバスケの練習中に、左膝前十字靭帯を断裂。仕事に余裕があったため、今度は手術を受けることができました。
15歳からずっと、私の人生の中心にはバスケがありました。大学卒業後もそれは変わらず、社会人チームに所属し、自己トレーニングも欠かしたことがありません。勉強や仕事と並行して、チーム全員で優勝を目指して努力してきました。
だから、ケガや不調に見舞われるととてつもない不安に襲われます。(このまま治らなかったら、もうバスケができないんじゃないか?)(バスケができなくなったら、何を目標に生きればいいんだ?)アマチュアアスリートには専属トレーナーなどいませんし、当時はインターネットを使った情報収集も一般的ではありませんでした。
左膝は整形外科の先生に治してもらい、リハビリの指導も受けました。半ば諦めた気持ちもありつつリハビリを続けたところ、見事に回復。私は、治療とリハビリ技術のすばらしさに驚きました。そして「自分も勉強をして、アマチュアアスリートをサポートする治療院をつくろう!」と決心しました。
私と同じようにスポーツを愛する人たちが、ケガや不調によって現役を諦めることがないように、困った時の受け皿のような場所を作りたいと思ったのです。
私は、脱サラして医療系専門学校に入学することを決意。すべての学校のパンフレットを取り寄せて比較検討して、日本健康医療専門学校(以下ニッケン)を選びました。
当時ニッケンは創立して3年目を迎えるところでした。施設も新しく、講師の先生方や学校関係者の方々もやる気に溢れていた印象があります。
柔道整復学科は、クラスメイトが高卒の18歳から40代の社会人経験者など幅広く、それが新鮮でした。講師の先生方はみなフレンドリーで、授業もわかりやすかった。当時32歳の私とはそんなに年が変わらないこともあり、飲みに行ったり、ゴルフに行ったりしてました。そういうつきあいの中から、業界の話を聞いたり、治療に対する先生方の考えを学ぶことができたと思います(今では考えられないことかもしれませんが...)。
授業はかなり真面目に出ていました。会社員時代の貯金から授業料を払っていたので、無駄にしたくないという気持ちも強かった。学校では、小テストを頻繁に行なっていて、それが記憶の定着に役立ったと思います。
国家試験は、私たちの学年から試験のシステムが変更したこともあって、かなり緊張したのですが、無事に合格しました。それまでで最高の点数だったと思います。それだけニッケンの模試が難しかったということです。創立したばかりということもあり、合格率を上げるために、かなり厳しく指導していたのでしょうね。
柔整の国家資格を取得して、私は臨床現場で仕事を始めました。独立開業の目標は固まっていたので、さまざまな治療院で働きながら、現場の空気を学ぼうと思ったのです。フランチャイズと個人経営では、治療の流れや現場の雰囲気が全然ちがいます。また、個人の治療院の場合は、院長先生の考えやこだわりが色濃く反映していると思いました。いくつもの治療院で働く中で、鍼灸の資格も取った方がいいと実感し、再びニッケンに入学しました。
鍼灸では、整形外科の授業を担当されていた梅澤先生との出会いが大きかったですね。
柔整時代から、先生には膝を診てもらっていたのですが、鍼灸では外来研修として先生のお世話になりました。
午前中の研修では、先生の横でずっと問診や治療の様子を見て、学ぶことができました。午後からは鍼灸の講義、夕方からバスケの練習とトレーニング...と忙しい毎日でしたが、充実していました。整形外科での研修が楽しくて、夏休みもずっと続けていました。医療スタッフの方々からもいろいろと教えてもらいました。
なによりも、梅澤先生ご自身から学ぶことが多かったですね。ニッケンの授業ではとても厳しいのですが、患者さんにはとてもやさしい。人との接し方や治療家としてのあり方を教えてもらいました。また、先生もスポーツをされているので、トレーニングや身体のケア、食事の取り方などもストイックに実践していて、かなり影響を受けました。今の私があるのも、先生の存在のおかげといっても過言ではありません。
外来研修での経験は、特に、患者さんの症状の見極め方、治療方針の立て方などに大きく役立ちました。柔整や鍼灸でできること、整形外科と連携すべきところを理解し、患者さんにとって最適な治療方法を提案することができるようになったのです。
2012年、私は念願の治療院「アクティブ鍼灸整骨院」を、地元の文京区・白山にオープンしました。
プロ・アマを問わず、スポーツを愛する人のための治療院です。治療後のリハビリやトレーニングにも対応できるように、トレーニングルームも完備しました。
開業当初、患者さんが来てくれるかどうか心配でしたが、地元の先輩や幼馴染の紹介、バスケの仲間たちが来てくれました。
そこから、「スポーツアスリートが多く利用している治療院」と評判になり、水泳のマスターズ会員の女性グループなども来院されるようになりました。
3年前、板橋区に治療院を移転し、名称も「トラストスポーツ鍼灸整骨院に」変更しました(他エリアに同名の治療院があったため)。以前よりも治療室とトレーニングルームを広くとり、3台分の駐車スペースも完備しています。自宅の近所なので、休日や時間外の急患にも対応できます。
現在も、スポーツアスリートを対象としている点は変わりません。近隣の学校のサッカーや野球の部活の子どもたちが利用するので、マンガとキャンディを常備。院内は子どもたちの元気な声が響いています。バスケの仲間たちもケガや不調の治療はもちろん、リハビリやトレーニングに利用してくれています。口コミでいろんなアスリートに広まり、プロバスケットの選手やトランポリンの日本代表選手などの治療も行なっています。
治療は鍼灸と超音波が中心で、スポーツ外傷の場合は整形外科と連携して行なっています。不調やパフォーマンスアップのご相談の場合は、ていねいに話を聞き、治療家の視点で原因を究明し、一緒に解決策を考えています。
患者さんのケガや不調が治った時、トレーニングの効果によっていい結果が出た時、自分のことのようにうれしいです。どんなスポーツでも老若男女を問わず、本人がそれぞれのベストコンディションで元気にやってくれることが私の願い。そのためのサポートやケアは惜しみません。
私自身、現在も社会人バスケ「Simon Tokyo」の監督をやりながら、現役選手としてマスターズの全国優勝を目指しています。バスケと治療家、どちらも大好きなので、真剣に取組んでいます。
久しぶりにニッケンに行った時、トレーニングルームの設備に驚きました。今は、スポーツトレーナー養成コースでNSCA-CPT資格やDAH-CTPC【BASIC】、女子栄養大学食生活指導士の資格取得も目指せるんですね。恵まれた環境と充実したカリキュラムで、今の学生さんが心からうらやましいと思います。
これからこの業界に入るならば、「なんでもできる」のではなく、特徴や個性を生かした治療家を目指すことをおすすめします。女性向けの鍼灸やアスリート向けの治療院など、対象やカテゴリーを絞り込むことで、特定の分野を深く研究することができるでしょう。
また、治療家の道を究めながら、もう一つ人生の軸をもつという生き方もあると思います。多様性という言葉が多用される時代になりました。治療家という職業にも、多様性があっていいと思います。国家資格を取得しても、それに縛られる必要はありません。資格を生かして、自分らしいスタイルで治療家として生きていく人も、これからの時代には増えていくのではないでしょうか。
辻雄次郎(Yujirou Thuji)
1971年東京生まれ。柔道整復師、鍼灸師。トラストスポーツ鍼灸整骨院院長
大学卒業後、自動車レース車両製作エンジニア、建設品質検査員を経て、脱サラして日本健康医療専門学校(ニッケン)・柔道整復学科に入学。2006年、柔道整復師の資格を取得。臨床での経験を積みながら、2007年ニッケン鍼灸学科に入学。整形外科の梅澤香貴医師に師事し、外来研修の経験を積む。2010年、鍼灸師の資格を取得。2012年文京区白山に「アクティブ鍼灸整骨院」を開業。2017年、日本スポーツマスターズ全国ベスト8に。メイン監督を務める「Simon Tokyo」は、東京都社会人バスケットボール大会に参戦し、東京都代表となり2020年関東大会で準優勝し全国大会出場決定(新型コロナウィルス感染拡大の影響で全国大会は中止)。2019年、板橋区に治療院を移転し「トラストスポーツ鍼灸整骨院」に名称変更。
トラストスポーツ鍼灸整骨院 公式サイト
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