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卒業生Voice
治療家を目指そうと思ったきっかけは中学校でのバスケのプレーヤー経験、高校でのバスケ部のマネージャー経験からです。
中学校からバスケをはじめましたが、身体を動かすことが不得意だった私はベンチにいることが多かった私は、
ベンチから声を出して選手を応援することが好きでそこにやりがいを感じ、高校では女子バスケ部のマネージャーになりました。
人をサポートし、応援する事が好きな気持ちからこの仕事を選びました。
高校生までは、なんのための勉強なんだろう...と学校の勉強をする意味が全く分からず日々の勉強が楽しくありませんでした。
しかし、そんな私が初めて柔整の勉強は楽しいと思うようになりました。
一年生の頃は学校の先生方のサポートもそうですが、クラスの頭の良い人に教えてもらううちに勉強が楽しいということに気付き、
勉強への意欲が増したことを覚えています。
全体的に先生方の授業は丁寧でわかりやすかったですし、何より勉強を好きになれて良かったと思える学生生活でした。
なので毎日勉強しても全く苦ではなく、問題が解けるようになること、わかる事が増える事がとても楽しかったです。
ちょっと変わっているかもしれませんね。笑
もちろん国家試験前はかなり勉強しました。
私は午後部だったので、午前中は朝からカフェで友達と集まり勉強してから学校の授業を受け、授業の後は教室に残って勉強か、バイトの日々でした。
沢山勉強していても、基本的に自信がない私は財団テスト、国家試験当日はとても緊張した事を覚えています。
財団テストに受かる事ができたのは柔道の相方、そして当時の柔道の先生方のサポート以外のなにものでもありません。
朝練も、授業後も沢山練習に付き合って頂いたからこそ、合格できたのだと思います。今でもとても感謝しています。
思い返すと、先生方のサポート、クラスのみんなで頑張ろうという団結力があったから3年間楽しく頑張れたのだと思います。
学科のカリキュラムは1日2コマという数だったので集中して受けることができました。
3コマ、4コマだと疲れが出て少し集中力にかけていたかもしれません。
先生独自のプリントなどはとても試験の為になったと思っています。
先生の印象は比較的に若い先生が多く、元気なイメージと、親しみやすさがありました。
キャンパスライフはクラスが委員長を中心に団結しとても仲が良かったので凄く楽しかったです。
またオープンキャンパスのお手伝いなどにも参加していたので先輩、後輩、他の学部の生徒、高校生など様々な人に絡む機会があって良かったです。
専門学校は勉強だけのイメージが強かったのですが、ニッケンは部活動も盛んでそこも学校生活が楽しくなる魅力の一つだと思います。
私もこっそり3年間ゴルフ部に在籍していたので少しだけゴルフができるようになって楽しかったです。
この仕事を選んで良かったなと思う事は沢山あります。
患者様に有難うと感謝された時もそうですが、何よりも学べる事が終わらない事がこの仕事を選べて良かったなと思う時です。
「痛みだけでなく、人を診る」という院長のモットーを私も引き継ぎたいと思っています。
痛みが良くなって、感謝して頂いた時は本当に嬉しく、この仕事をやっていて良かったと思います。
しかし、私が患者様に何かしてあげれる事はそれほど多くはないと思っています。
施術をきっかけにご自身の身体に少しでも向き合ってみようと思っていただけたらとても嬉しいです。
そういったちょっとしたきっかけに私がなれていたら、と思います。
そのためにも私は、正しい知識が必要だし勉強をしなければいけない、たくさんの経験を積んでいかなければならないと考えています。
なので、いつまでも学びが終わらないし、全ての経験が為になる仕事だなと感じています。
そう思える仕事に出会えた事、それを教えてくれる上司の元で働けている事がこの仕事をしていて良かったなと感じる時であり、やりがいを感じる時です。
これからの目標はしっかりと外傷を診れる柔道整復師になることです。
恥ずかしい話、今までは慢性痛などを診る事が多くあまり外傷に対応する機会は多くありませんでした。
この半年間は院長と一緒に外傷の勉強をし、ギプスをまけるように練習を重ねました。
先月自分が捻挫をした際に、院長からギプスを巻いて貰いとても楽になり痛みがとれるのも早くて感動したことは記憶に新しいです。
自分もしっかりと患者様にギプスを巻くことができるよう、一度勉強した柔整理論を勉強し直し、外傷をしっかり診ることができる柔道整復師になる事が目標です。
PROFILE
海津 友希 Yuki Kaidu
1993年東京都品川区生まれ
高校卒業後日本健康医療専門学校に入学
卒業後は株式会社五健整骨院に就職
2020年株式会社五健整骨院解散後
院長が引き継ぐ合同会社iPPoに就職